織田裕二の概要
織田裕二は身長177.5cm。体重70kg。左利きだったが、現在は主に右を使う。
釣竿は左用を使っているなど今でも左を使う時がある。
視力は右1.2、左1.2。血液型A型。
織田裕二はピッツバーグ大学日本校中退後、役者の道へ。
織田裕二が最初にテレビに登場したのは、1986年、おニャン子クラブを生み出した
『夕やけニャンニャン』内で行われた、その男版の息っ子クラブの
メンバーの募集に事務所が勝手に応募。
織田 裕二は見事勝ち抜きメンバーになる事が決まったが、メンバー入りは辞退する。
1991年フジテレビドラマ『東京ラブストーリー』のカンチ役で、織田 裕二は大ブレイク。
「月曜の夜は、OLが街から消えた。」と言われ、
「月9」という言葉もこの作品から生まれた。
織田裕二のデビュー当初はトレンディ路線とアイドル色が強かった為、
主に20代女性層を中心にブレイクしていたが、
その後は積極的にコメディや映画にも出演して幅広い人気を獲得している。
役作りで織田裕二は、服装や小道具にこだわり、
キャラクターをつかむのに時間がかかるタイプ。
役作りや演技へのこだわり、作品作りにかける意気込みの強さ故、
共演者やスタッフからの評価は高いものの、批判的な見方もあり、
織田裕二はことあるごとに週刊誌のネタとされる。
歌手として織田裕二は1987年4月にデビュー映画『湘南爆走族』の
挿入歌のシングルCD「BOOM BOOM BOOM」でデビュー。
1991年2月に発売された『スズキ・セルボ』CMソング「歌えなかったラヴ・ソング」が
最高位2位を記録。57万枚を売上げ、自身最大のヒット曲となった。
その他の代表曲に「Love Somebody」(1997年1月)などがある。
俳優の余技ではなく、表現手段として音楽活動をする数少ない俳優でもある。
2005年ゴールドディスク賞受賞。
2001年のドラマ『ロケット・ボーイ』で主演を務めるも、
椎間板ヘルニア(持病の腰痛が悪化)による緊急入院で撮影を中断する事態となった。
基本的に20代から容姿・風貌が変わっておらず、外見的に年齢を見分にくいタイプである。
20代前半なみの持久力と肺活量をもつスポーツマンでもある。
2007年4月19日放送『うたばん』では、本人に説明なく行われた体力測定で
実年齢39歳にして25歳と診断されていた。
2004年、『東京ラブストーリー』以来13年ぶりに月9ドラマ
『ラストクリスマス』に出演することになった。
この作品経験をターニングポイントとして、以降の作品では脚本段階から
作品に関わる姿勢を強めることになる。
2003年1月公開の映画『T.R.Y.』では、中国上海でロケを行い、中国語の台詞に挑んだ。
演技面や性格面で、息がぴったりだった女優は、深津絵里だと言われている。
大森一樹監督曰く「日本映画界で数少ない、名前で客を呼べる俳優」。
基本的にバラエティ番組(特にお笑い系)へは出演しない方針で、
「SMAP×SMAP」で、香取慎吾が「踊る!大捜査線」のパロディで
織田の物まねをしている時に、本人には内緒でゲスト出演した際、
織田は出演時に「バラエティは、ダメなんだよ。苦手。恥ずかしい。」と、
しきりに言っていた。しかし時々歌手として出演している「うたばん」や
長年キャスターを務めている「世界陸上」の中継などで、
その茶目っ気のある性格や軽妙なトークを垣間見ることが出来る。